肥前國“仏の路”の3回目、今回は唐津市相知町にある「立石観音」を紹介します。(『立石』は「たていし」ではなく「たついし」と読みます。)「立石観音」は、JR相知駅の南西方向、長閑な田んぼが広がる中の「米の山」と呼ばれる小山にあります。次回のコラムで紹介する予定の「鵜殿石仏群」とも非常に近い場所です。県道259号線を相知駅から蕨野の棚田方面へ向かう途中、平山川を渡ってから右折、小山に沿うように進んで行くと、大きな岩と竹林が見えてきます。その竹林の奥に立石観音があります。
竹林の中を進んで行くと、左側に階段が見えてきます。階段の傍には『洗心』の文字が彫られた手水鉢。門柱だったであろう石柱や宝珠柱も残っています。階段を登っていくと大きな岩屋と境内が見えてきます。境内には、不動明王や地蔵菩薩など数多くの仏像が祀られています。壁面の岩穴にも小さな仏像が安置されていました。後の時代に地域の人々によって奉納されたものもありそうです。また、「相知・四国第六十七番霊場札所」ともなっていました。
そして、岩屋の奥壁に御本尊となる三体の磨崖仏が刻まれています。右から「十一面観音」、「阿弥陀如来」、「薬師如来」の三体です。その様式から「阿弥陀如来」と「十一面観音」は、平安時代中期〜後期の藤原時代のもの、「薬師如来」はその少し後の平安時代末期と推定されています。いずれもこの地で修行した修験者らによって彫られたと考えられています。同じ相知町内にある「鵜殿石仏群」は、平安時代末期〜室町時代初期に造立されたものとされているので、「立石観音」はその少し前の時代のものになるでしょうか。案内板には、「十一面観音」の姿は鵜殿石仏群の像容に引き継がれていると考えられる、と書いてありました。互いに非常に近い場所にあり、松浦党が支配していた地域内でもありますし、何かしらの繋がりや影響はありそうですね。
さて、壁面に彫られた三体の磨崖仏ですが、風化している箇所があるものの、他の磨崖仏と比べても形は留めているように思います。覆屋も付けてありますし、雨風の直撃は凌げているようです。右の「十一面観音」は全体のお姿は認識できますが、お顔の部分は表情が分からないぐらい風化しています。対して、中央の「阿弥陀如来」は、お顔の表情や印を結んだ両手、蓮台の部分などが認識できる程に形を留めています。左の「薬師如来」は、右肩部分の壁面から亀裂が入っていたりして、若干崩れてしまっている部分があります。お顔の表情は分かるものの、蓮台の部分はほとんど形が分からない状態です。他の二体より一回りほど大きいですし、素人目ですが、彫りの深さも浅いように見えます。その作風の違いも影響しているのかもしれません。
ここ「立石観音」は、前回ご紹介した「鶴の岩屋」の濃縮された祈りの空間とは違って、爽やかな木立の中で静かに祈りを捧げるような空間となっています。竹林の間から太陽の光が降り注ぎ、笹の葉が風に揺れる音、鳥の鳴き声も聞こえます。境内には、お花も備えてあり、掃除も行き届いておりとても綺麗でした。
帰り際に気づいたのですが、階段の下に竹箒が掛けてありました。地域の方が日頃からお掃除をされているようです。案内板にも書いてありましたが、造立当時の古代よりずっと信仰が続いているようです。周辺には有名な「見帰りの滝」や「蕨野の棚田」などもありますし、相知町を訪れたついでに是非立ち寄ってみてください。
[肥前見聞録] T.Kawamichi