小友祇園祭を見に行ってから一週間後の7月23日、また祭りを見に行ってきました。唐津市浜玉町浜崎で行われた「浜崎祇園祭」です。一度見に行ったことがある祭りで、今回で7年ぶり2度目の参戦となりました。ここもコロナの影響で、3年ぶりの開催となったようです。
「浜崎祇園祭」は、浜玉町浜崎に鎮座する諏訪神社の境内に祀られている祇園社の夏祭りです。この諏訪神社は、784年(延暦3年)の創建とされる歴史のある神社です。鷹にまつわる言い伝えがある神社で、ソフトバンクホークスの関係者が戦勝祈願に来ることもあるそうです。私も酉年生まれなので、時々お参りに行っています。
浜崎祇園祭は、宝暦3年(1753年)に網元・中村屋久兵衛が、疫病退散と五穀豊饒を祈願して3台の山笠を造ったのが起源と言われ、270年以上続いている祭りです。浜区(漁師)と西区(農家)、東区(商人)の3台の山笠があります。浜区は大漁、西区は五穀豊穣、東区は商材繁盛をそれぞれ祈願しています。山笠の高さは15メートル、重さは5トンと全国でも最大級の大きさだそうです。豪華絢爛に飾り付けられ、全面と後面にそれぞれ物語が描かれています。
前述の中村屋久兵衛は、商用で京都に行った際、祇園社(今の八坂神社)に参拝し、帰る途中に博多の祇園山笠を見学。浜崎でも祇園祭を行うことを提案して、私財を投じて山笠を造ったと言われています。他にも、慶長年間に、京都の祇園祭を見た地元の儒学者が始めた、という説もあるようです。
地域に伝承されている祭りの歴史を知ることは、その地域の成り立ちを知ることにも繋がります。祭りの中心となるのは神社やお寺などですが、それらを建立できるのは、主にその地域を治めている人物や土地の有力者です。その人物は、ずっとその地に住み続けていたのか、中央政権から派遣されてきたのか、はたまた戦によりその地を勝ち取ったのか。そのルーツを探ることは、その地域がどのように成り立ってきたかを知ることに繋がります。
そして、祭りにもそれぞれ始まったきっかけがあります。主に、農作物の不作・疫病・天変地異などの災厄が起きた時、それらを神仏の力で祓ってもらうために祭りが始まっています。今と違って、人の力で解決する知識や技術がなかった時代の人々にとっては、神仏に頼るしか術はなかったのでしょう。そのようなきっかけで始まった祭りが、いつしか『神事』としてだけでなく、地域のエンターテイメントとしても受け継がれ、現代に至っているのです。
さて、浜崎祇園祭は、2日間開催されますが、夕方からが祭りのメインです。宵の口から山笠の巡行が始まり、暗くなってくると山笠の献灯が美しく輝き出します。その様子は、何とも幻想的で美しい光景です。特に、通りに3台の山笠が連なった様子は圧巻です。(写真できちんと伝わると良いのですが…)
山笠は、地区内をゆっくり巡行しながら諏訪神社に向かいます。諏訪神社に到着すると、祭りのクライマックス『おおまぎり』です。山笠を十数回ぐるぐると挽き回します。挽き手の方たちの掛け声や熱気が伝わってきます。目を山笠の上の方へ向けると、ぐるぐると回る献灯が美しく光り、そこだけ別の世界のような雰囲気でした。(『おおまぎり』の様子は、ぜひ動画でご覧ください。)
ちなみに、今回の撮影では、オールドレンズを使って写真を撮影してみました。旧ソ連製の“Jupiter-8 50m F2”というレンズです。オールドレンズとは、フィルムカメラの時代に作られたレンズです。最近のミラーレス一眼カメラだと、マウントアダプターを使うことで、比較的簡単に撮影できます。普段使用しているレンズよりは、柔らかい表現や独特のボケ感を出すことができるレンズです。まだ十分に使いこなせているとは言えませんが、普段とは一味違った写真になっているかなぁと思います。
さて、しばらくの間、祭りの撮影はなさそうです。9月〜10月になれば秋祭りの時期なのですが、コロナの影響でどうなることやら・・・。久しぶりに見に行きたい祭りもあるので、またどこかの祭りを撮影できたら、Vol.3を書きたいと思います。
[肥前見聞録] T.Kawamichi